私の時代について

文学や哲学の役割はーそれが素人のものであれー同時代の空気のようなもの、普段改めて存在を問われないものを意識へ上らせ、そこから来るべきものについて示唆を与えることではなかろうか。では、私の時代の空気のようなものとは何だろうか。

私は1988年生まれである。翌年にはベルリンの壁が崩壊し、その二年後にソ連が崩壊する。私の物心がつくのは当然もっと後であるから、冷戦とその終わりは同時代経験には含まれない。バブル経済も同様である。その後、現在進行形で大小様々な事件があったが、あくまで日本人としての私の人格形成は「失われた30年」と呼ばれるのっぺりとした低成長時代にすっぽりと包まれていた。包まれているということは、その前後に自覚的でないということであり、同時代を冷戦やバブル経済、もちろん全共闘や安保闘争、先の敗戦や明治維新といったものの中で連続的に捉える視点が育たず、「無批判に」資本主義的価値体系の中に組み込まれた。これは「過去から現在へ」という歴史教育と、当然私の学問的資質にも原因がある。しかし、多くの同世代人から受ける印象から、これが私の時代の空気の一部と言っても差し支えないだろう。