ベルリンへの所感
約3年を過ごしたベルリンは、様々な感情を呼び起こすという点では面白い土地であったが、本音を言えば全く性に合わなかった。
大陸ヨーロッパの社会福祉と過激なリベラリズムは、個々の努力を蔑ろにしている。この街は「ありのままの自分で良い」というメッセージをあらゆるところから発する。しかし、「ありのまま」は「ありのままらしさ」へと形骸化し、ファッションとしてのアナーキズムを大量生産する。これは、僕が受けたような、社会的不安を煽る儒教的な教育とは相容れない。そこでは、不完全な自分というのが出発点であり、人はそれを補うために努力し競争する。これは、どちらかと言えばストア哲学と、そしてもちろん資本主義と相性が良い。特にここ東ベルリンは、ベルリンの壁崩壊後、その貧しい土地にやってきた人が築いた文化がいまだに根強く、反資本主義、反物質主義を未だに肌で感じることがあり、いささか居心地が悪かった。
精神面での違和感だけでなく生活上の不便も絶えなかった。よくドイツ人は、5時以降は働かないと言われ、日本のメディアでは模範的なワークライフバランスの例として憧れを持って紹介されるが、それが良く思えるのはあくまで労働者としてである。全ての労働者は消費者でもある。そして、サービス砂漠であるベルリンは消費者としては最悪の土地だ。デモとかストをする暇があれば、とりあえず各々の仕事を真面目にやってくれと思うのは日本人だからだろうか。もちろん、ヘーゲルが、そしてマルクスが重要な時期を過ごしたこの土地でこんなことを考えることはナンセンスだろう。
というわけで、僕はもうすぐこの土地を去る。色々と辛辣な感想を述べたが、むしろ自分の平均的日本人としての中道右派の価値観にとことん挑戦してくれたという点で、ベルリンでの経験は豊かなものだったのかもしれない。