アメリカ大統領選挙を見て思うこと

ヨーロッパにやってきてから、少なくとも自分と同じ生活レベルの人の間でトランプ支持を公言している人は見たことがない。私自身もトランプが「答え」でなければ良いなと思っていた。だが、同時に政治という複雑なトピックに関して多くの人が断定的になれることにやや違和感を感じる。トランプが当選した土壌というのはなんだったのか。バイデンは本当に支持されているのか、はたまたトランプでなければ誰でも良いのか。

各々が信じる良い未来への一歩ではなく、私怨をはらせたことに歓喜している人がたくさんいるように見えるのは私だけだろうか。敗者を悪党呼ばわりし汚い言葉を投げかける人がいる。それは結局のところ同じ問題の裏側が明るみに出ただけに過ぎず、そういうことが正当化されるうちは何も変わっていないのではないだろうか。妥当なプロセスと民主主義の道理が働いた。それが我々が祝福するべきことであり、誰かの勝利や敗北ではない。

量子力学への多大な貢献でノーベル物理学賞を受賞したハイゼンベルクは政治と哲学にも明るかった。ナチスドイツと原子爆弾の開発という極度の政治的困難を経験した彼は次のように述べる。

その達成が、まだずっと遠いような政治的な目標の価値を判定することは、いつの時代でも非常にむずかしい(中略)政治的な運動を、彼らが声高に宣伝し、そしておそらく、実際にもやろうとしている目標でもって、決して判断してはならないし、彼らがその実現のために使用する手段によってのみ判断すべきものである W・ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳

因果関係が複雑で不確定要素の多い事象に対して手段だけを評価対象にしようという至言である。誰にも分からないことで対立するくらいであれば、その瞬間の行いが「良い」かどうかを問うたほうが建設的ではないか。BLMも反警察運動も、そしてこの選挙も、その目標はともかく、たくさんの「良くない」ことを引き起こした。

正しい秩序でもお互い同士の間で矛盾に陥り得ること、それから生ずる闘争によって秩序とは反対の方向に動く(中略)部分的秩序は形成力を喪失していなかったが、その中心への方向づけは失われていた。この統一的な中心の欠如は、長く聞いていればいるほど、私をますます苦しめた。 同書

20世紀の大戦を経ても我々が「価値」の領域について語り対立するやり方は大きく変わっていない。意見の完全な一致や物事の完璧な理解を前提としないような日常の言葉が人類の協調のために強く必要とされているのではないだろうか。

そして、バイデンがそういう言葉で話すのを聞いて、私は少し明るい未来を期待している。