したくないこと、できないこと
ジェットコースター
子供のときジェットコースターが苦手だった。乗らなければいいというものではない。あれは遊園地の一番高いとこにあって、定期的に轟音を響かせる。逃げても見えなくなることがないのが厄介なのだ。
恐怖というのは体験する以外に克服する方法がない。しかし、我々は「できないこと」を「したくないこと」のカテゴリに閉じ込めるという自己欺瞞でこれに対処しようとする。だが、無意識は恐れていることを知っている。逃げ続けた挙げ句、恐怖の対象が無限に増えてどうにもならなくなった人を誰でも一人くらいは知っている。
すっぱい葡萄
- マネジメントはやりたくない。技術一本で食っていく
- 頭が良いだけでは意味がない。人間性がともなっていないと駄目だ
- 楽器が上手いやつはいくらでもいる。心がこもっていることが重要だ
こういった類の言葉はよく使われる。こういう時往々にして前提条件として使われるものは条件ですらない。マネジメントをしたくないと言う者の中で、どれだけが実際にマネジメントができるだろうか。もし、前提条件が不可能なものであるなら、それは選択ではない。
漁師とビジネスマンの寓話
有名な漁師とビジネスマンの寓話がある。はっきりとは覚えていないが、確かこんな感じだ。
MBAを持ったビジネスマンが漁師に金儲けを教えようとする。漁師が金持ちになる理由を聞くと、ビジネスマンは早くリタイアしてのんびりした生活を送るためだと答える。だが、その生活はまさにその漁師がしているようなものであった。
一片の教訓を含んだ物語である。しかし、人間の心の平安には結果だけではなく、それが己の「選択」によるものであるという感覚が必要なのではないだろうか。この意味で、漁師とリタイアしたビジネスマンというのは質的に同等ではない。
死ぬこと
人間の最大の恐怖に死がある。死の恐怖はやはり死ぬことでしか克服できない。とすると、人間は死を持ってして最後の恐怖から解放されるというように考えることもできる。
「したくないこと」と「できないこと」を厳しく分類し、「できればやってみたいこと」を「できること」に少しずつ変えていく。これが自分の最もファンダメンタルな人生哲学だ。