Palm Phoneを買った

新しいiPhone SEが出た。残念ながら、Appleに4インチのデバイスを復活させる勇気はないようだ。iPhone 7を大きいと思いながら使っていた私にとっては、いよいよiPhoneを手放すきっかけとなった。

長らくソフトウェアの仕事をしている身としては皮肉なことに、スマートフォンが人間の生活を豊かにしているという確信はない。かくいう自分も、最近めっきり集中力がなくなった。とりたてて必要もないのに、気がついたら携帯をチェックしている。朝起きて最初の動作が携帯を開くことだったり、汚い話だが、トイレにまで持ちこんだりというのは自分だけではないだろう。楽しいかと言われるとそんなこともない。なんなら嫌なものが目についてマイナスの感情が生じることもある。

高度な推薦システムと無限にスクロールするフィード。かつてないほど「プッシュ型」の情報が増えた。自分の主体性が及んでいるのはいったいどこまでなのだろう。何かとても受動的、享楽的で、また怒りっぽい人が増えたと思うのは気のせいだろうか。

人間を規定するのはその意思ではなく、それを取り巻くシステムである。有害なものはできるだけ環境から排除したい。ガラケーも頭をよぎったが、仕事柄必要不可欠なアプリケーションがいくつかある。結局、Palm Phoneという3.3インチの極小スマートフォンに落ち着いた。

iOS風のランチャーを使うとさながらiPhone XXSという風貌だ

iOS風のランチャーを使うとさながらiPhone XXSという風貌だ

この「使えなくはない」感は絶妙である。かなり小さいものの、解像度が良いので多少のテキスト・画像の閲覧であれば問題ない。800mAのバッテリーは相当心許ないが、ほとんど触らなければ1日は持つ。多少カスタマイズされているが普通のAndroidで、ほとんどのアプリケーションが普通に動作する。待ち受け画面に通知が一切表示されないのはバカバカしいが、実際のところ即時の対応が必要なことなど滅多にない。妙なバグがちらほらあるが、クセが分かれば許容範囲内だ。使いたくはならないが、最低限必要なことは全てできる、そういうスペックである。

こういうプラットフォーマーには作れない攻めたプロダクトには細々とでも生き残ってほしいものだ。