Start Writing Again

長らく放置していたブログに久々に手を付ける。元来、何事も継続できない性格ではあるが、それ以前に書く「理由」がなかった。

比較的更新していた4,5年前、20台前中半は、毎日が「あり得たかもしれない自分」との戦いだった。自分の過去に後悔し、自信を取り戻すためにアイデンティティを確立する必要があった。今、まもなく30歳を迎えようとしている自分の気持はどうだろう。とても満たされていると思う。あり得た自分の中では限りなくベストに近い。日々の苦労は尽きないが、それでも俯瞰してみたとき、とても幸せだ。人を羨むこともほとんどなくなった。この数年、アイデンティティの危機を感じることは無かった。だが、ここ最近、再び自分のアイデンティティについて考え直す機会が次第に増えてきたような気がする。

今のエンジニアとしての仕事がとても好きだ。程よいチャレンジがある。素晴らしい同僚に囲まれている。だけど、そこで満たされているのは自分の「半分」だけだ。満たされている半分は、現実的で合理的な自分、誰かの役に立つ自分。もう半分は、傲慢でロマンチストで全く役に立たない。前者を活かして生きるのは簡単だが、後者はそうではない。不満が言いたいわけではない。人にはいろんな一面があって、社会の要請でそれを使い分ける。自分の全てが同時に一箇所に集まることなどほとんどありえないし、半分が満たされているだけでもとても幸せなことだと思う。だけど、30歳という決して若くは無いが、とはいえ老いてもいないこの年齢で自分の全てを役立てることを諦める必要が本当にあるのだろうか。

随分と昔、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で宮崎駿が取り上げられているのを見た。とりたててジブリのファンというわけでもないのに、この時の記憶は今でも鮮明に残っている。特にこの言葉。

理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。

自分の理想はなんだったのだろうか。それを見つけるために、もう一度文章を書こうとしている。