AOR・アーバニティー・相対主義。アンチヤンキー。

私は感性が完全に都会的だと思う。

かなり傲慢な物言いに聞こえるかもしれないが、優劣ではなく、あくまで気質について述べているのである。それに、これからの文章を読めば、私が「都会的」なことを誇っていないということがよく分かるだろう。

都会には人が多い。 人が多いと、価値観が多様になる。 価値観が多様的になると、特定の価値観の優位性を認めなくなる。 特定の価値観の優位性を認めない人は、「正しさ」を諦める。

この感性は、AORやシティ・ポップという言葉に代表される都会的な音楽の特徴と一致する。AORの特徴は何かというと、本質的にはジャズの影響を強く受けた複雑なハーモニーである(当然、ドラムスをジェフ・ポーカロにするとより効果的であるのは言うまでもない)。『After The Love is Gone』や『Nothin’ You Can Do About It』などがAORの代表曲とされるのは、それらが今までのポップスではありえない、技巧的で複雑なハーモニーワークを駆使しているからに他ならない。

3和音のメジャー/マイナーの世界は二項対立の世界だ。そこには明確な明暗の境がある。しかし、モダンジャズ、そしてその影響下にあるAORは基本的に4和音以上の世界である。4和音のメジャー/マイナーは主音を変えれば明暗が裏返る。Imaj7にはIIImがあるし、IIIm7にはVがある。複雑なハーモニーは多面的であり、二項対立ではない。見方によって、文脈によって明るく聞こえたり暗く聞こえたりする。『Private Eyes』のような上に挙げたの2曲に比べれば随分とキャッチーな曲でさえ、同主転調を駆使したハーモニワークによって、明暗の曖昧なモダンさを表現している。

このハーモニーの多面性はまさに都会的折衷であり、それゆえにAORは都会的なのだ。

南佳孝は

人生はゲーム

互いの傷を慰めあえれば

答えはいらない

(『スローなブギにしてくれ』より)

と歌っている。この「正しさ」に対する諦めは都会的価値観の1つの特徴だ。 また、キリンジだとこうなる。

自棄っぱちのオプティミスト

強気のペシミスト

お大事に

(『自棄っぱちのオプティミスト』より)

何事も表裏一体であり、両極には答えがない。中庸・相対主義という争いを不毛とする平和主義者のメッセージである。

また同時に、相対主義者は知っている。それが、間違えることのリスクを一切取らない卑怯者の考えであることも。

「どれでもいい」という相対主義は「どうでもいい」という無関心に繋がる。音楽のアナロジーで遊んでばかりいても意味がないかもしれないが、4和音以上のメジャー/マイナーが「多面的」であるなら、4度の響きは「無面的」といっていいだろう。そして、4度の響きも非常にモダンだ。9thの音はとてもモダンだが、これは9thが5thと4度の関係にあるためだろう。和音を複雑にすればするほど、こうした無機質な関係性も生じてくる。多様であるということが、無であることにつながるというのは非常に皮肉なことではないだろうか。

ジャズのモダニティーの萌芽である、Milesの『Love For Sale』。音楽に明るくない人でも、Bill Evansのイントロの4th Voicingは「モダン」だと感じるだろう。

一方で、ヤンキーの文化はこの都会的価値観とは対照的だ。

彼らは、傍若無人であるが、同時に「正義」「仲間」「人情」などという言葉を大事にする。これは、彼らが明確で絶対主義的な価値観を有していることの証拠である。彼らは、それに合致するものを積極的に守り、その一方で合致しないものは徹底的に排除しようとする。

私はこういう不良的価値観を持った人と接するのが苦手だ。苦手というのは間違っているという意味ではない。私達、都市生活者に「間違い」という言葉はない。間違っているかどうかは分からないからだ。だから相対主義者は、不良的絶対主義には賛同しないが、それと同時に、その価値観に食って掛かって否定することもしない。相対主義は行動力の欠如に他ならず、結局私はその場でヘラヘラと引き攣った笑いを浮かべているしか出来ないのだ。こうして、不良的価値観の元では、私は「はっきりしない、男らしくないやつ」ということになって、忌み嫌われる。十分にあり得るご意見であろう。「否定はしない」。

何が言いたいかというと、相対主義者は、相対主義であることを自覚しており、相対主義の欠点にも気づいているということが言いたいのである。そして、今の相対主義と、絶対主義の間の「より良い相対主義」を目指すのである。そして、これを繰り返す。都会的である人は、都会的であることを誇りに思わず、またそういう誇りに思っていないことをも誇りに思っていない。

:::lisp
(...(((都会的であることを 誇りに思っていないことを) 誇りに思っていないことを) 誇りに思っていないことを) 誇りに思っていないことを) ...)

だから、私は「再帰」に惹かれているに違いない。