Simple is best.

特別飾らず、 特別奇抜でもなく、 それでも見ているだけで、格好いい、と思えるアーティストがいる。

たとえば、Caetano Velosoや、

Peter Gabrielや

David Bowieなんかがそうだ。

視覚的にも、聴覚的にも無駄が少なく、 どのようにすれば、「どう見えるか」「どう聴こえるか」分かっている。 そんなベテランミュージシャンだからこそ、なせる技であろう。

だが、シンプルにすれば格好良く見えるだろうか。 当たり前だが、そうではない。 素人のシンプルさなど、つまらないものでしかないし、 無数の「俺でもできる」の一言で片付けられてしまう。

たとえば、音楽などは、いい加減な曲でも、ボーカルを重ねたり、

ストリングスを入れたり、コーラスをかけたりすると、なんとなくよく聞こえる。 自分で音楽を作ってみたことがある人は実感があるだろう。 こんな風に、簡素な駄作よりは、手の込んだ駄作のほうがまだマシだ。

つまり、「探しても見つからない」と「探せばなにかあるかもしれない」の違いである。

では、「探しものがそこにある」状態を生み出すにはなにをすればよいか。 ゴミの山に浸かるしかない。

そこで色々なムダに出会い、それからはじめて、捨てて良い物に気づくことができるのだ。

そして、上に挙げたようなアーティストは、まさにこの取捨選択を行なってきている。

以下のように、彼らのシンプルに至るまでの遠回りは並大抵ではない。

Caetano Veloso Caetano Veloso

Peter Gabriel Peter Gabriel

David Bowie David Bowie

これだけの、装飾過多から晩年の状態を作り出しているのだから、 当然、相当に必要なものだけが残っているだろう。 ただ単に残すといっても、常人とは母数が違いすぎるわけである。

音楽やデザインの世界で、シンプルさの地位が上がってきている。機能美が追求されるようになってきた。 だからこそ、観客は見る目を、聴く耳を養わなければいけない。

単純なことしかできないから、シンプルなのか、 あらゆるムダを取り除いているために、シンプルなのか。

前者のシンプルさは本当に醜悪だ。

「できることと」、「したいことと」、「すべきこと」を混同し、観客を混乱させる。 ただの、詐欺でしかない。

それも、三流を二流に見せかけるならまだしも、低い技術をもってして「最上級」を謳う。

シンプルがもてはやされる時代だからこそ、シンプルに厳しくなるべきだ。

一方で、やがて最高のシンプルを体現するであろう人が生み出す大量のゴミへの温かい眼差しは欠いてはならない。