2013-10-23(水) | -- (permalink)

果たしてプログラマという職業はクリエイティブな職業だろうか。

そもそも、クリエイティブとはどういうことだろうか。以前の投稿にもあるように、私は「センス」なるものは一切信用していない。クリエイティブとて同じことで、検証不可能な「センス」によって計られるべきではない。おそらく、クリエイティブとは「代替不可能な価値をもたらす、実証可能な能力そのもの」だ。私なりのクリエイティブを定義したところで、改めて問うてみる。

果たしてプログラマという職業はクリエイティブな職業だろうか。

残念ながらほとんどの場合はそうではない。世の中にある大半のコードは代替可能な能力によって生産されている。ほぼ全ての実現したいことに関する情報は、インターネットのどこかに存在する。私が日々の仕事で行っていることも、もちろんそうだ。また、これは非常に大事なことだが、目新しいことができるかどうかでプログラマの能力を計るべきでもない。誰もやりたがらないことを確実に行うプログラマの価値は非常に高い。一般的なプロダクトの完成に寄与する割合で言えば、目新しさは1割ぐらいで、残りの9割は能力的には誰でも出来る作業だろう。だから、デヴィッド・カトラーは優秀なのである。

カトラーは、プログラマーがいつも新しいコードだけを書きたがり、ミスは忘れたいと考えているとみると、うるさく小言を言った。(G・パスカル・ザカリー著『闘うプログラマ』より)

こうした理由から、代替可能な作業の精度を挙げて、その精度が代替不可能になることを目指すという手段で代替不可能になることも考えられる。だが、頭では分かっていても ...