2013-08-08(木) | -- (permalink)

クインシー・ジョーンズ生誕80年を記念して、32年ぶりにQが日本のステージに立った。そんな訳で、私も去る7月31日、東京国際フォーラムに赴いた。

どういう訳か、日本人アーティストの演奏が全体の半分ぐらいを占めている。トリビュートパートと呼ばれており、亀田誠治がプロデュースしているらしい。
その出演者は

綾香・小曽根真・小野リサ・K・ゴスペラーズ・BoA・三浦大知・土岐麻子

という混迷っぷりだから、見る前から少し不安であった。

ちなみに、メインであるクインシー・ジョーンズのパートは、いわゆる「クインシーの秘蔵っ子」が次々と出演するという構成。しかも超若手の、見聴きしたことのない出演者ばかりで、こちらも同じく不安であった。

ライブレポートを書くのであれば、司会のクリスペプラーの登場から時系列順に内容を追っていくべきなのだろうが、そういうつもりもないので


2013-05-21(火) | -- (permalink)

特別飾らず、 特別奇抜でもなく、 それでも見ているだけで、格好いい、と思えるアーティストがいる。

たとえば、Caetano Velosoや、

Peter Gabrielや

David Bowieなんかがそうだ。

視覚的にも、聴覚的にも無駄が少なく、 どのようにすれば、「どう見えるか」「どう聴こえるか」分かっている。 そんなベテランミュージシャンだからこそ、なせる技であろう。

だが、シンプルにすれば格好良く見えるだろうか。 当たり前だが、そうではない。 素人のシンプルさなど、つまらないものでしかないし、 無数の「俺でもできる」の一言で片付けられてしまう。

たとえば、音楽などは、いい加減な曲でも、ボーカルを重ねたり、

ストリングスを入れたり、コーラスをかけたりすると、なんとなくよく聞こえる。 自分で音楽を作ってみたことがある人は実感があるだろう。 こんな風に、簡素な駄作よりは、手の込んだ駄作のほうがまだマシだ。

つまり、「探しても見つからない」と「探せばなにかあるかもしれない」の違いである。

では、「探しものがそこにある」状態を生み出すにはなにをすればよいか。 ゴミの山に浸かるしかない。

そこで色々なムダに出会い ...